帯広教会の一日一章 その2 №248(2024/4/28~2024/5/5) □4/28(日) 哀歌1章 エルサレムの窮状が、擬人法を用いて歌われます。「なにゆえ」という悲嘆の言葉が口をつきます。世界のここかしこで起こっている争いや破壊の中でも、うめきの声が神に上がっています。
□4/29(月) 哀歌2章 一節ずつヘブライ語のアルファベットを冠してエルサレムへの主の裁きが歌われます。後半、その嘆きと悔い改めを主に向かってあげよと勧められています。 □4/30(火) 哀歌3章 私は他者をないがしろにしていることはないだろうかと、省みを与えられます(34~36節)。主は、虐げられている人々の涙をそのままにしておかれることはありません。 □5/1(水) 哀歌4章
飢えのために愛情深い母親が、わが子を煮炊きして食べるほどの凄惨な窮乏の中、主の裁きの前に座し、「なにゆえ」と問います。 □5/2(木) 哀歌5章 財産や住む場所を奪われ、生きるために必要なものを、命がけの対価を払って得ようとしている人々が、世界中にいることを覚え、隣人愛と主への立ち帰りをもって生きてゆきます。 □5/3(金) 詩編107編
苦難の中を歩む人々のありさまが歌われる中、主は助けを求める声に応えてくださること、主への感謝の声がはさみこまれます。一足ひとあしごと主に守り導かれることを願い歩みます。 □5/4(土) 詩編108編 戦いを前にしての主への戦勝祈願の歌のように聞こえます。主のみ旨にかなって歩めるよう、日々自分自身を主に委ねて歩めますように。 □5/5(日) 詩編109編
愛に対して、敵意で返してくる関係があります。復讐の思いにかられても、それは行いません。主に公平を求め、主の裁きを求めます。