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<今週の説教要旨>

5/20 「和解の神」 創世記 50章15~26節                 川内裕子牧師

①兄たちの恐れと謝罪

 父ヤコブの死後、葬儀を終えた後に、兄たちの恐れは表面化します。兄たちは、過去に自分たちがヨセフに行ってきたことを、ヨセフは許してはおらず、自分たちに仕返しをするのではないかと恐れます。エジプトにやってきて17年もの間、兄たちは心からの安心なく過ごしていたことがわかります。

 兄たちは自分たちがまずヨセフに出向くのではなく、人を介して謝罪の言葉を伝えます。また亡き父をも利用してヨセフの許しを引き出そうとします。その後、自らヨセフのもとに行き、ヨセフへの服従を語ります。

 

②ヨセフの語りかけ

 これまでヨセフに謝罪することなく歩んできた兄たちの初めての謝罪を受け、ヨセフは涙を流します。神が兄たちの悪を善に変えたこと、自分を恐れる必要はないことを語ります。兄たちを慰め、優しく語りかけたとあります。

 エジプトでヨセフと兄弟たちが再会して17年、このために神が自分を先にエジプトに遣わしたのだという言葉を、再会の時から再び繰り返してヨセフは語り直すこととなりました。

 兄たちと、ヨセフとの間に本当の和解はなかったのでしょう。同じ言葉を用いても、思いがすれ違い、互いに理解し合っていなかったヨセフと兄たちが、互いの理解のために踏み出すには、結び直してくださる神が必要でした。聖書には、異言を語ろうとも愛がなければその言葉はやかましいシンバルの音と同じ(Ⅱコリント13:1)で相手の心に響くことはないと書かれています。彼らの中につなぐ愛があったでしょうか。ぎこちなく和解の道へと踏み出すヨセフと兄弟たちの姿に、私たちもまた向き合う相手に届く愛の言葉を持っているかを問われます。

 

③和解の神

 今日はペンテコステです。使徒言行録のペンテコステの出来事を読むと、聖霊を受けた人々が、あらゆる国々からやってきた人々の言葉で神の業を語ったことが記されています。ペンテコステの出来事は、相手のわかる言葉で聖霊が語らせるときであり、人々が理解し合う交わりへと開かれていくときであったといえます。

 

 助け手であり、弁護者である聖霊の働きにより私たちは一歩踏み出し相手に歩み寄る愛を与えられます。教会の誕生日といわれるペンテコステの日、それぞれが聖霊を受けて相手に届く言葉をいただくことができますように。

 

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